英語の教育改革が行われて早4年、パターンプラクティスという言葉を聞かなくなりつつあるように感じています。言語活動に重きが置かれて、意味やりとりが行われない単なるドリル練習は敬遠されがちです。
わたしも15年ほど、公立中学校で英語を教えてきました。当時、国の方針と同じように「意味のやりとりがない単なるドリル練習ばかりをやっているから日本人は英語が使えないんだ!」と思っていました。だから、パターンプラクティスのようなドリル練習より、意味のやりとりを中心に行われる言語活動をよく行なっていました。ところが、何年も経験しているとそれもまた違うのではないかと感じるようになったのです。
言語活動を軸にして英語の授業を組み立てた成果は着実に出ていました。ALTとのパフォーマンステストでも、日々の授業でも、英語で発話することに抵抗がなくなっていくのを感じました。年度の後半になってくると、別の先生が受け持っているクラスとの英語での発話量の差は明らかでした。全てのクラスでパフォーマンステストを行なっていたALTは、「あなたのクラスの子たちは反応がいいし、英語で伝えようとするね。」とよく言っていました。ところが、しばらく続けているとあることに気づいたのです。それは、発話する英語のレベルが一向に上がってこないことでした。いつまでたっても頭に浮かんだ単語を並べているだけ。文としてまとまった英語がすっと口から出てくる生徒はほんの一握りでした。言語活動を行なっているのに、いざリアルなコミュニケーションの場になると単語の羅列から脱却できないと感じる先生は少なからずいるのではないでしょうか。
これは、どこかに問題があるからです。わたしが行き着いた答えは、「英文の型」でした。英文の型が定着していないのです。それを「英語脳」と表現する人もいます。言いたいことを素早く英語の語順で口から出すことができなければ、しどろもどろの単語の羅列から抜け出せません。ではなぜ英文の型がすらすらと口から出てこないのか。それはトレーニングをしないからに他なりません。野球で言えば、素振りやティーバッティングをせずに試合ばかりをやっているようなものです。どれだけ試合をやっても地道な素振りやティーバッティングをしなければ打撃フォームは安定しないでしょう。打率は上がりません。英語で言えば、その一つがパターンプラクティスなのです。
英語の授業改革とともに敬遠されかけたパターンプラクティス。わたしはドリル練習を悪だとは思いません。むしろ地道な練習は、非母語を短期間で身につけるには絶対的に必要なものだと考えています。単なるドリル練習のパターンプラクティスをぜひ再考していただきたいと思うのです。パターンプラクティスを過去の遺物にしてはいけません。
パターンプラクティスは、新しく表現を導入したときに身につける練習として行うと効果的です。パターンプラクティスで表現を身につけ、言語活動で使い方を練習する。バランスよく2つが取り入れられることで生徒の英語力は向上していきます。次の記事では、どのように行うとよいかを紹介します。